カテゴリー「歴史」の23件の記事

令和、の時代を体験できました。

令和元年(2019年)5月1日・水曜日。

渋谷のスクランブル交差点は、信号無視の歩行者で、ちょっと大変そうです。

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昭和・平成・令和。

私、明日まで生き永らえましたら、昭和・平成・令和、と三つの元号を生きたことになります。

私が子供のころ、明治・大正・昭和を生き延びた、と表現されていたお年寄りと同列になります。

元号というものは、時代を括りやすくして、自分の位置づけをわかりやすくできる、日本人にとって便利なアイコンです。天皇陛下という生身の人間の生死とリンクしているので自然、世代、の称号も兼ねるからでしょう。

前回の改元、それは昭和から平成へかわるときを、私は鎌倉で迎えました。昭和63年(1988年)10月に東京杉並から鎌倉に転居して当地での生活に慣れたころ昭和天皇の崩御がありました。お亡くなりになる前は数カ月間、下血・発熱(体温)などが毎日報じられて息詰まるような日々でして、崩御の報のころには世の中、自粛、の嵐。大気中の空気すら暗いでなく、黒く、見えるような時期がありました。

国民にとっては慣れ親しんだ元号である、昭和、が終わるんだということすら気づかずにいたようなときに、

新しい元号は、平成、であります。

とテレビなどのマスコミを通じて一気に知らされて、本当に昭和は終わるんだ、と実感しました。大喪の礼などの一連の行事を通じて、昭和天皇がお亡くなりになり、昭和という時代が終了し、という喪失感が強く、そこへ平成という聞きなれない元号にやや戸惑う、そんな改元でした。

それに対して今回は、前回の昭和・平成の改元とは様相がまったく異なっていました。天皇陛下の(生前の)退位に伴う改元で、崩御という不幸や喪失感が伴わないこと、改元の1カ月前に新元号が発表されたこと、そのような事情からまるでお祭りのような盛り上がりがみられました。これはとても幸せなことではないか、と思えます。

昭和・平成の改元のとき私は28歳。はからずも長くなった司法試験受験時代で、昭和のうちに合格できなかった、と悔やみながら臨んだ平成元年(1989年)1月の答練の開始時期は受験生全体に例年と違う熱気を感じました。私の合格が回ってきたときには平成5年(1993年)になっていました。平成8年(1996年)弁護士登録、平成10年(1998年)事務所開設。子供たちはすべて平成生まれ。20世紀生まれと21世紀生まれとがいますが。自分は昭和の人だ、と思いつつ、人生で仕事と家庭で最も忙しい時期は平成でした。もっとも馴染みを感じる元号は昭和で、平成は、準・昭和、か、昭和の弟分、のような個人的印象でしたが、いざ時代が閉じるとなりますと結果的に、社会人として家庭人としては、人生の主要な時代になっていました。

前回の改元時に28だった私はすでに58。前回の改元時の父親の歳と同じです。その父もすでに亡く。私も次回の改元までこの世にいるのかどうか。ちなみに明日から天皇になられる皇太子は生年が昭和35年(1960年)で、私も同じ。天皇家とは家族のサイクルがほぼ同じなのです。私と同じ年のお生まれの方が天皇の地位に就かれる、そんな時代になったのだ、と思えば、自分の身の処し方もよくよく考えないといけないと知らされます。

日本が戦争をしないでいた、昭和の戦後40年余り、平成の30年間。このまま日本も世界も平和で繁栄できる時代が続いてほしいです。私の家族、そしてさらに子孫のためにも。

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「令和」雑感。

固唾を飲んで待ち構えた新元号。

パソコン画面上のテレビライブを見つめていました。

予定より遅れること10分。今日だけは待ちに待って登場した菅官房長官が語りだし、そして宣明したのは、

れいわ

でした。

は?

今なんていった?

と戸惑っておりましたら、平成おじさん、こと小渕さんの所作がいつの間にやら日本国の慣行となったかのような、墨書された漢字二文字が掲げられました。

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正直にいいます。この瞬間、私には、ひや~っとした感覚が流れました。

音は、ラ行の、エ段、の「れ」。

ラの音は、私にはなぜか、うっかり八兵衛、のおっちょこちょい、に近い音で、

エの段は、他の段に比べればもっとも聞き苦しい音、なのです。

その「れ」で始まるなんて。

しかも、漢字は、

普通、「命令」「法令」「令状」が浮かぶでしょうし、脳内に。いいつける、しばりつける、という強制の意味合いを強く感じるのが正常な感覚ではないでしょうか?

まさか政府と国民が縛り縛られてのSMプレイに興じる卦でもあるまいし。

それを「和」をつけて、あたかも「昭和リバイバル」で、中和、したかのような風味でした。テレビでは、「和」をつけたことで涙ぐむ人が出ていましたけど、それを狙ったのであればさらに頭の「令」が、怪しくなって仕方ありません。

「令」については、令月をはじめとして、令嬢、令夫人、令息、などと、美しい、素晴らしい、との意味合いが、まるで言い訳のように流布を開始していますが、それでも、巧言令色すくなし仁、にあるように、どうも、令にはお世辞という意味合いが多分に含まれているのではないですか?徹頭徹尾の誠心誠意、は実は感じられない。

この元号のうちに、自分は死ぬのだろうか、

この元号のうちに、日本はどうなる?

いやな予感を持たざるを得ない瞬間というのは、あります。それが、この画面の時というのは、とてつもない事態を実は備えなければいけないのではないか。

4月1日からそんな気持ちで、実は、います。

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新元号、令和。

新元号が、令和になりました。

読み方は、れいわ、です。

日本のひとつの時代を示すものとなります。

感慨深いものがあります。

来月からしばらく公文書等の年号となるのですね。

頭文字は、R、なんでしょうね。

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来るべき、元号。

いよいよ、新しい元号の決定が明日平成31年4月1日月曜日に迫りました。

思い返せば、生まれてからこのかたずっと過ごした、昭和、が終焉を迎えて、平成、に変わった、平成元年(昭和64年の次)の1月8日は私は28歳でした。それから30年。今や58歳。来年2020年(元号は〇〇2年)には還暦です。

昭和35年(1960年)にこの世に生を受けた私は、昭和、も少なからずの30年近くを過ごしました。平成、に代わってからもさらに30年。さらに次の元号に。

昭和のころに「明治は遠くなりにけり。」と言われたのが、今度は「昭和は遠くなりにけり。」となるのは間違いなし。

昭和・平成・〇〇、と元号にして三代生きたらそれで上等ではないでしょうか。

とはいえいよいよ明日、平成31年、西暦2019年、の4月1日に控えた新元号の決定と発表。

予測するな、というのが無理、というもの。

私は大胆にも、イニシャル・レベルでは、

と思いました。

Aは、安倍総理の国政私物化の結実の「安」の字。

Eは、ネット上で、「永光」などとり沙汰されるところです。

Kは、「光」「久」など。

さて、明日は、どうなるのでしょうか。

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阪神大震災も風化は避けられず。

1月17日・木曜日。
阪神淡路大震災から24年目になりました。


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今年は、震災追悼行事の取りやめを取り上げた報道をよく目にしました。
震災体験者が高齢化し、震災を体験していない世代が増えるのは当然です。
個人的には、司法修習生として弁護修習の時期に、実家に住んでおり、生まれてこのかた体験したことのない震度4を早朝に喰らった記憶が鮮明です。関西・中国・四国(瀬戸内)の人は、あの日・あのとき、の話題になるとそれぞれ記憶しているのです。

今日は24年前の今日と同じく、高松へ車で出勤。
御来客と裁判所での調停など。あがりは9時前。

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あれから30年。

1月7日・月曜日。
ふと気づきました。昭和天皇の「崩御」から今日で30年なのだと。


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昭和生まれの私は、当然、物心ついた頃から、昭和。
昭和40年代。楽しかった!
テレビは白黒からカラーになって番組はどれもこれも面白い。
昭和45年の大阪万博。
昭和47年の札幌オリンピック。
昭和48~49年からビートルズのレコード集め。

そして昭和50年の初詣のとき、家族で金毘羅さんにお参りするときの参道上の横断幕に
祝・昭和50年(祝・昭和天皇在位50年、だったかな?)
と大書されていて、
とうとう昭和40年代が終わり50年代になるんだ、
との思いを強くしたのを覚えています。

ほどなくして高校進学。
昭和55年に大学入学、東京生活開始。
昭和59年に大学卒業。
司法浪人突入して気が付けば昭和60年代。
いったい、昭和、っていつまで続くんだろう。40が50になって60になった。

そして、下血・発熱の報道が延々と続いて、私は昭和63年10月に東京を離れて鎌倉に転居して初めて迎えた昭和64年のお正月に、崩御。世の中なにもかも自粛。
長らく続いた昭和の終焉がついに来た、との思いと、その年号が去ることの一抹の寂しさと、「平成」というちょっと音に締めがない気が抜けたような見慣れない聞きなれない元号をこれから使わなければならないという違和感と新時代到来の感覚。

そうかあれから30年、なんだ。

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三億円事件の真犯人?

「12月10日」の日付でまず頭に浮かぶのは、
三億円事件
という人は昭和生まれの人間でも、もう少数派?
昭和43年(1968年)12月10日、府中刑務所脇の公道上で起こった三億円事件は幼い私にも強い印象を残した歴史的事件です。数えれば当時私は小学2年生。「さんおくえん」と言われてもどれくらいの金額か見当つかない年ですが、とにかくすごい大金、一生働かなくてもいいお金、程度の認識はあったようです。ちなみに今の貨幣価値に照らせば20億円ほどになるとか。それで、「さんおくえんじけん」の言葉には、自分の小学・中学・高校さらには大学に進学して成人してもなお未だ破られていない(金額はともかく社会に与えたインパクトでは)日本記録の大事件の栄冠すら感じるものでした。
刑事上の公訴時効は(窃盗罪であれば)昭和50年(1975年)に完成し、民事上の不法行為に基づく損害賠償請求権の除斥期間は昭和63年(1988年)に経過しました。刑事・民事ともに責任追及が果たせず迷宮入りの大事件として記憶されるようになりました。

その、三億円事件の真犯人が、ついに告白本を出した、との触れ込みで出た本があると知りました。奇しくも事件発生から50周年という時期に。
私は、あの大事件の真犯人しか語り得ない事実を知りたいという好奇心とともに、弁護士という仕事に就いて以来刑事事件記録や民事の訴訟記録とくに陳述書を日常的に読んできた経験に照らしてその真犯人が「本物」かどうか判断できるか、という別の好奇心もありまして、さっそく宮脇書店で購入しました。

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購入してその日のうちに読了。センテンスが短めで読みやすいから。一文字一文字スムースに追えました。好奇心も引っ張ってくれました。
読後の感想。これって「小説」ではないの?「告白」「独白」の匂いより「小説」の匂いが強いのは明らか。
「事実は小説より奇なり」を実感することは仕事上珍しくありません。しかしこの「告白本」の中の「奇なり」の部分には作為的なものを感じます。とくに学生運動のリーダーの女性から真犯人の元大学生の男性に宛てた手紙になりますと、「ちょっとね~」でした。ホロリときかけましたけど、そんな感傷も、真犯人告白本の触れ込みへ強まった疑念が、ブレーキをかけてきます。
ただ昭和40年代の空気感は感じさせてくれました。学生運動に参加する男女学生も実は出会いを求めている要素が決して弱くないという部分や(学生運動もインスタ映えも根は同じ?)、街中などでの乱闘や逮捕劇などで。ただそれも真犯人でなくても当時(特に東京での)大学生活を送った人であれば体験できるものではあります。
やはりピカレスク・ロマン(悪漢小説)と結論づけました。ただし、歴史上実在した事件を題材とした。

この「作者」さん、巧妙にパズルを組み立てるように内容を創り、社会への提示の仕方も考えたのでしょうね。
今後、学説でいうA説、B説、C説のように、「真犯人」がたくさん出てきて「真相」を語る、というスタイルか、ジャンルか、出てくるのでしょうか?

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休廷前の追い込みか。

8月6日・月曜日。
広島原爆の日。
朝、ゆっくりしていると、テレビで広島原爆慰霊式典が中継されていました。広島市長の声明を聴きながら、今年で73年目、100年目はどうなんだろう、とぼんやり考えていました。

身支度して出かけると相変わらず、
暑い!

観音寺の裁判所で午前も午後も、調停。家事の。
しかも両件とも、フル・ヴァージョンでした。
夏季休廷後半の部が始まる前の駆け込み詰め込み期日なのでしょうか。

帰宅できると思ったら、急な夜の仕事(古馬場系ではなく事務所です。)で高松へ。
帰りは深夜と呼んでいい時間でしたが、やはり、暑い。

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米朝ライブ。

火曜日に通常業務と眼科通院などと立ち回っていた間に、巷で話題の、
米朝首脳初会談
がどうも気になります。自分の周りにテレビはなく、スマホで中継画像を合間にチラホラ見ていましたら、会談会場で両首脳が握手する場面などからライブで見ることができました。ただし現実から数十秒遅れの画像だそうです。ライブを見るにもテレビからスマホへと小道具が変遷するのですね。
しかし、
米朝
べいちょう
べいちょー
なんかこんな名前の落語家いなかったかな~、
とどうでもいいことに頭が動いてしまいます。
米朝ライブ
だなんて、落語のライブみたい。
それでも今回の会談は悪いことではなかったのでしょうね。どちらかというといいことだったような。
会談が落語並みといいたいのではありません。念のため。

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