18 posts categorized "歴史"

阪神大震災も風化は避けられず。

1月17日・木曜日。
阪神淡路大震災から24年目になりました。
今年は、震災追悼行事の取りやめを取り上げた報道をよく目にしました。
震災体験者が高齢化し、震災を体験していない世代が増えるのは当然です。
個人的には、司法修習生として弁護修習の時期に、実家に住んでおり、生まれてこのかた体験したことのない震度4を早朝に喰らった記憶が鮮明です。関西・中国・四国(瀬戸内)の人は、あの日・あのとき、の話題になるとそれぞれ記憶しているのです。

今日は24年前の今日と同じく、高松へ車で出勤。
御来客と裁判所での調停など。あがりは9時前。

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あれから30年。

1月7日・月曜日。
ふと気づきました。昭和天皇の「崩御」から今日で30年なのだと。


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20190107b


昭和生まれの私は、当然、物心ついた頃から、昭和。
昭和40年代。楽しかった!
テレビは白黒からカラーになって番組はどれもこれも面白い。
昭和45年の大阪万博。
昭和47年の札幌オリンピック。
昭和48~49年からビートルズのレコード集め。

そして昭和50年の初詣のとき、家族で金毘羅さんにお参りするときの参道上の横断幕に
祝・昭和50年(祝・昭和天皇在位50年、だったかな?)
と大書されていて、
とうとう昭和40年代が終わり50年代になるんだ、
との思いを強くしたのを覚えています。

ほどなくして高校進学。
昭和55年に大学入学、東京生活開始。
昭和59年に大学卒業。
司法浪人突入して気が付けば昭和60年代。
いったい、昭和、っていつまで続くんだろう。40が50になって60になった。

そして、下血・発熱の報道が延々と続いて、私は昭和63年10月に東京を離れて鎌倉に転居して初めて迎えた昭和64年のお正月に、崩御。世の中なにもかも自粛。
長らく続いた昭和の終焉がついに来た、との思いと、その年号が去ることの一抹の寂しさと、「平成」というちょっと音に締めがない気が抜けたような見慣れない聞きなれない元号をこれから使わなければならないという違和感と新時代到来の感覚。

そうかあれから30年、なんだ。

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三億円事件の真犯人?

「12月10日」の日付でまず頭に浮かぶのは、
三億円事件
という人は昭和生まれの人間でも、もう少数派?
昭和43年(1968年)12月10日、府中刑務所脇の公道上で起こった三億円事件は幼い私にも強い印象を残した歴史的事件です。数えれば当時私は小学2年生。「さんおくえん」と言われてもどれくらいの金額か見当つかない年ですが、とにかくすごい大金、一生働かなくてもいいお金、程度の認識はあったようです。ちなみに今の貨幣価値に照らせば20億円ほどになるとか。それで、「さんおくえんじけん」の言葉には、自分の小学・中学・高校さらには大学に進学して成人してもなお未だ破られていない(金額はともかく社会に与えたインパクトでは)日本記録の大事件の栄冠すら感じるものでした。
刑事上の公訴時効は(窃盗罪であれば)昭和50年(1975年)に完成し、民事上の不法行為に基づく損害賠償請求権の除斥期間は昭和63年(1988年)に経過しました。刑事・民事ともに責任追及が果たせず迷宮入りの大事件として記憶されるようになりました。

その、三億円事件の真犯人が、ついに告白本を出した、との触れ込みで出た本があると知りました。奇しくも事件発生から50周年という時期に。
私は、あの大事件の真犯人しか語り得ない事実を知りたいという好奇心とともに、弁護士という仕事に就いて以来刑事事件記録や民事の訴訟記録とくに陳述書を日常的に読んできた経験に照らしてその真犯人が「本物」かどうか判断できるか、という別の好奇心もありまして、さっそく宮脇書店で購入しました。

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購入してその日のうちに読了。センテンスが短めで読みやすいから。一文字一文字スムースに追えました。好奇心も引っ張ってくれました。
読後の感想。これって「小説」ではないの?「告白」「独白」の匂いより「小説」の匂いが強いのは明らか。
「事実は小説より奇なり」を実感することは仕事上珍しくありません。しかしこの「告白本」の中の「奇なり」の部分には作為的なものを感じます。とくに学生運動のリーダーの女性から真犯人の元大学生の男性に宛てた手紙になりますと、「ちょっとね~」でした。ホロリときかけましたけど、そんな感傷も、真犯人告白本の触れ込みへ強まった疑念が、ブレーキをかけてきます。
ただ昭和40年代の空気感は感じさせてくれました。学生運動に参加する男女学生も実は出会いを求めている要素が決して弱くないという部分や(学生運動もインスタ映えも根は同じ?)、街中などでの乱闘や逮捕劇などで。ただそれも真犯人でなくても当時(特に東京での)大学生活を送った人であれば体験できるものではあります。
やはりピカレスク・ロマン(悪漢小説)と結論づけました。ただし、歴史上実在した事件を題材とした。

この「作者」さん、巧妙にパズルを組み立てるように内容を創り、社会への提示の仕方も考えたのでしょうね。
今後、学説でいうA説、B説、C説のように、「真犯人」がたくさん出てきて「真相」を語る、というスタイルか、ジャンルか、出てくるのでしょうか?

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休廷前の追い込みか。

8月6日・月曜日。
広島原爆の日。
朝、ゆっくりしていると、テレビで広島原爆慰霊式典が中継されていました。広島市長の声明を聴きながら、今年で73年目、100年目はどうなんだろう、とぼんやり考えていました。

身支度して出かけると相変わらず、
暑い!

観音寺の裁判所で午前も午後も、調停。家事の。
しかも両件とも、フル・ヴァージョンでした。
夏季休廷後半の部が始まる前の駆け込み詰め込み期日なのでしょうか。

帰宅できると思ったら、急な夜の仕事(古馬場系ではなく事務所です。)で高松へ。
帰りは深夜と呼んでいい時間でしたが、やはり、暑い。

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米朝ライブ。

火曜日に通常業務と眼科通院などと立ち回っていた間に、巷で話題の、
米朝首脳初会談
がどうも気になります。自分の周りにテレビはなく、スマホで中継画像を合間にチラホラ見ていましたら、会談会場で両首脳が握手する場面などからライブで見ることができました。ただし現実から数十秒遅れの画像だそうです。ライブを見るにもテレビからスマホへと小道具が変遷するのですね。
しかし、
米朝
べいちょう
べいちょー
なんかこんな名前の落語家いなかったかな~、
とどうでもいいことに頭が動いてしまいます。
米朝ライブ
だなんて、落語のライブみたい。
それでも今回の会談は悪いことではなかったのでしょうね。どちらかというといいことだったような。
会談が落語並みといいたいのではありません。念のため。

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震災22年。

1月17日・火曜日。
子供の用事のため丸亀経由で高松に出勤。
青空の元の丸亀城がきれいでした。

20170117

丸亀に業務のため平日昼間に訪れたときには人も車もさほど多さを実は感じません。
しかし通勤通学の時間帯は、やはり人がいるんだな、と感じてしまいました。
帰宅の時間帯よりも人も車も集中していますからね。

終日、高松で。

夜に観音寺方面での業務がないおかげで高松で夜まで粘れました。

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広島平和祈念式典+リオ2016開会式・ライブ。

8月6日・土曜日。広島原爆の日。

朝食後、ふと時刻を見たら午前8時すぎ。そうだ今日は広島の原爆の日。8時15分の式典が中継されているはず、とテレビをつけました。
今年はアメリカ大統領として初めてオバマ氏が広島を訪問するなど歴史的な年となり、改めて式典で語られる言葉に耳を傾けました。
感銘を受けて中継は終わり。

すると直ちにリオデジャネイロからの中継へ。
あ、そうなんだ、オリンピックの開会式があった。
しかし、こんなにかぶらなくても。確かにオリンピックも平和を求める祭典ではあるのでしょうが、広島の余韻は吹っ飛んでしまいました。世界的にも広島と今年のアメリカ大統領訪問の意義が染み渡る間もなく世界の運動会に耳目が行ってしまったように感じるのは私だけでしょうか?

それはさておいても、ポールが歌ったロンドンの開会式からもう4年になることも驚きです。ついこの間のような気がして。
そして4年後には東京で開催されますから、東京がオリンピックの最近のトレンドをリサーチするのはこのリオの大会になりますね。非常にダイナミックと楽しさを感じさせた開会式でしたし聖火台もユニークで現代から近未来的。東京にはプレッシャーでしょうね、きっと。
音楽面は、リオは鉄板のサンバで決まりでしたけど、さてユニバーサルに通用する日本の舞踊って何だろうとも考えました。沖縄のエイサーか、土佐のよさこいか?この二つで勝負かけてもいいのでは?
などとつまらないことを考えた土曜日の昼前。

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英国、EU離脱・ライブ-LONDON TOWN。

6月24日・金曜日。

戦闘仕事が実はこの日が本番。
強制執行の現場に向かいました。外は雨。
現場に到着すると、執行官は、昨日退去したと連絡がありました、と。
何事も平和解決が一番。しかし長引いたな~。
お客さんには喜んでいただきました。

現場に向かう途中に、この某セコハンショップに目が釘付け。
「こんな所にあったんだ~。」
いや、前にも気づいていながら、心にとどまらなかったのかもしれないです。
しかし、時間がないなあ、寄り道する。。。
と思っていたらお仕事は超・あっさり終了したものですから時間ができてしまいました。

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それでも次のお仕事を考えたら15分までがせいぜいかな。
すべて3ケタ価格でうれしい収穫でした。ディスプレスもしっかりした壁ディスプレイまであって70年代の空気感すら漂います。

オフィスでのお仕事の合間に気になった出来事は、イギリスの国民投票結果。
EU離脱か否か、です。
いきなり離脱優勢で始まり、離脱勝利確定、となるや、日本株は1300円下がるわ、ドル円は一時99円になるわ。
歴史的な、激動の時間を、またテレビで観てしまいました。

たまたま今日の収穫の一枚がこれ。
ロンドン・ブリッジが正面に控えるLONDON TOWN。ただしUS盤。

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ずいぶんと久しぶりです。
しかも頭から最後まで通して再生。
USらしい低域拡大気味で、しっかりした味の音です。

イギリスとヨーロッパ、どうか平穏なれ、と思いつつ、聴かせていただきました。

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オバマ大統領広島訪問ライブ。

5月27日・金曜日。
アメリカ現職大統領が初めて広島を訪問する歴史的な日。
伊勢志摩サミットでは伊勢神宮が注目されていました。
自分は2月には広島3月には伊勢神宮、にそれぞれ行ったばかりですから、映像の場所の見当がついたり、その場の空気感も残っていますから、どこにも迫真性を感じます。

夏風邪のためぼんやりとテレビを見ていたら、岩国基地をヘリが飛び立つところから、オバマ大統領が広島平和祈念公園に到着して専用車で立ち去るまでの一部始終を、ライブで、観ました。

よくコントロールされた行動、そして発言。
セレモニー臭が十分。

原爆資料館にオバマ大統領が入館し、展示物にさぞ見入っているだろう、などと想像をめぐらせていたのですが、突如、約10分後に退館。出てきました。
極めて強い違和感を持ちました。自分が今春入館した際の画像情報を見ましたら、現在リニューアル作業中のため展示物が半減にもかかわらず優に30分はいました。10分間なんて何を見たの?と思わざるを得ません。芳名帳に記帳しているうちに経過してしまう時間です。
大統領の立場ですから、展示物の詳細はアメリカにいても判る、というのでしょうか?

原爆ドームは対岸の歩道上から「視察」。けどまるで「鑑賞」のよう。
ドームの建物の間近にいかなければわからないこともたくさんあるはずなのに。
せっかくアメリカから広島までいらして(途中、エアフォース・ワンが中部空港から岩国基地まで移動した際には瀬戸内海上空(好天)を通過しており、ひょっとした香川県上空にもいたはず。)、原爆ドームのそばまで行かないなんて。

ただ歴史上初のアメリカ現職大統領の訪問という歴史的意義は決して減殺されることはないと思います。

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広島の原爆。

2月25日・木曜日。
平和記念公園及びその周辺を散策しました。
元安川の東岸の道を南下し、平和大橋を西へ渡ると平和記念資料館の南正面に出ました。

このあたりのなんともいえない押し殺したような空気感は気のせいでしょうか。

資料館に入館しました。入館料50円。
何度見ても涙の出る展示品。
だけど今回は分量が少ないのでは?
と出口に向かったところで訳がわかりました。本館と東館の展示を変更する工事のため、目下東館は閉館状態で、展示品は一時的に半減しているもよう。
ただ告知内容に「グランドオープン」と書いてあるのは違和感が大。

出口下の地面は発掘作業中ですが、井戸の跡など生活の痕跡が生々しく見えました。原爆前の生活状況を示すまさに「現代遺跡」です。

それまで(戦時下といえ)通常の日常生活を送っていた夏のある朝、一瞬にして、家も家族も失い、家庭生活の安らぎも仕事の充実感もそして人生そのものの失った出来事。
一人の人間にとってはなんというはかなさ、無力感、寂寥感、孤独感、それらを感じると、鬱、の気分に陥って抜けられなくなります。

今回は広島の街をある程度実際に歩いてみて、被害の程度と大きさをなんとなく足で感じてしまいましたが、あの原爆は極めて初期のもので、技術が進んだ今との比較では小さいものの、それを人間のいる街で実際に実験したのだ、という感を強くしました。
そう思うとスーツケース原爆によるテロという事態も単なる空想ではなくなりそうです。

帰宅して母親に、
初めて原爆の資料館に行ったのはいつだったかなあ、と問うと、父親が仕事の関係で宇品の港に入港して学校の長期休暇の時期を利用して遊びに行ったときに連れていかれたらしいとわかりました。子供に教育として見せてくれたのでしょう。うっすらとながら、こわいところ、という印象が残っています。
親からしてくれたことを子に返す。それで6年前には我が子たちを連れてきました。
一度きて理解すれば足りるところなのでしょうが、何度も来てしまいました。

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