30 posts categorized "事件・事故"

交通事故!前車が・・・。

7月12日・水曜日。
午前は観音寺で業務。
午後は高松の裁判所で業務。
散髪して夕方再び観音寺へ向けて夕刻に移動。夕刻と言いましても陽の落ちるのはまだまだ遅く、観音寺市内の道を夕陽を追いかけるように眼前に見ながら走行していました。
もうそろそろ午後7時というころ、周囲の車両は帰宅モードで全体にまったりした走りをしていました。
すると、、、
西に向かう私の前の車両もゆったりとまっすぐに走行していましたら、対向車線の車がどんどんこちらに近づいてくるのです。
あり得ない!
なにこれ!?
と思う間に、私の前車の右前部に、
バーーン
という感じで(そんな音が実際に聞こえたかどうかは記憶なし。)、
衝突、
してしまいました。
するとどちらの車かわからない部品が、
パーーン、
と噴出するかのように飛び上がり、そして落ちてきます。
目撃した私は、もし前車がいなかったら自分の車だったかもしれない、という恐怖感とともに、この部品がボディにあたってほしくない、という恐怖感も合わせて、急ブレーキで停止しました。
すると、どうやら私のには害が及んだいませんでした。
は、よかった。
と思い直してカメラを取り出して現場の状況の保全に協力しようと降車しました。
すると前車の運転手の女性はすでに降りていて私に向かって、
当てた人ですか?
と言いますので、私は、
いやいやちがうちがう、うしろを走っていたものです。
と説明。
女性は、
私まっすぐ走っていましたしスピードも普通でしたよね?
と言いますから、
はい、私みていました。相手が完全にセンターラインオーバーです。
といいましたら、
ありがとう!
と救われたようにいいます。
実際に当ててしまった運転手さんは男性でしたが降りてきて動転した気分を隠せない様子です。
車を交通の妨げにならないようにして、何か証言が必要でしたら、と名刺を1枚、前車の運転手さんに渡して立ち去りました。
お互い人損はなかった様子なのが不幸中の幸い。しかし、まったく平穏な日常から、一気に、超・ブルーな気分に叩き落されたのでは想像しますと、まったく気の毒としか言いようがありません。
スピードと車間距離は大切、と改めて知らされました。

観音寺オフィスに到着したらちょうど午後7時のチャイムがなりました。

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交通事故。

4月25日・火曜日。

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退院-アンチ・バリアフリー・ハウス。

12月14日・日曜日。

無事退院できました。
医療センターの医師の先生、看護師の方々、スタッフのみなさま、大変お世話になりました。本当にありがとうございました。

医学の有難さが身に沁みた今回の経験でした。
江戸時代に同じケガをしたらどうなった?と考えてみる。壊死して右膝から下を切断して命が助かるのが大方のところか。運が悪ければそのまま命を失ったかもしれない。
近現代の医学のある時代に生きる幸せです。

さて帰宅して久しぶりの我が家。
家族の顔を見てさらに和んでみたものの、用事でちょっと移動しようとしても、階段と段差の多いこと。
アンチ・バリアフリー・ハウス。
先見性と想像力の欠如は覆い隠しようがない家。
詳細は追って。

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今のギブス。

12月13日・土曜日。

センターは外来はお休み。
それでも入院患者さんの生活と医療スタッフの営みは休みなし。
主治医の井上先生は、4年間無休日、らしい。外科の先生にとっては宿命かも。

退院の話題になったので、咄嗟に
明日14日にします。
と回答。

すると、明日(14日)の朝はバタバタするかもしれないので今日のうちにしときましょう、
と右足にギブスを「巻いて」いただいた。
今のギブスは、広い包帯の恰好をしており、水に濡らして患部をぐるぐる巻くとそのまま固まるもの。
技術の進歩はすごいな~。
昔のギブスって、まず、大リーグボール養成ギブスでしょ。
・・・

何事も前倒しで処理されるのも仕事のできる外科医の先生の習性とみました。


病棟内は24時間快適な温度。
着衣はパジャマ。
ところが窓から見降ろす駐車場の車の間を行き来する人たちは防寒着を着込んでいます。
あの日常に戻るのか。退院に向けてのリハビリがいるわ。

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夕刻、午後6時すぎ。周囲はすっかり闇。
センターのヘリポートにドクターヘリ到来。
緊急搬送し終えて間もなく発進。
頼もしいなあ~。

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(室内が映り込んで極めて見にくいですがヘリポートです。)

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シャワー。

12月12日・金曜日。

朝の回診で主治医の井上先生からシャワーの許可をいただきました。
6日の夜の入浴以来。
さっぱりした。
さっぱりした勢いで再び1階までお買い物。

ところが湯冷めしたのか、軽い悪寒と軽い頭痛。

消灯時刻後、スマホでユーチューブに接続して観たのは
バッドフィンガー
ピートとトムの悲劇を動画とネット上の記事で習得。
なんでこんなことになったんだろう。
暗い気分でいつの間にか寝てしまう。

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初めてのお遣い。そしてリハビリ。

12月11日・木曜日。

老母が朝、刺身を買ってきた。

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昼過ぎ、若い女性看護師さんがカテーテルを抜いてくれた。
お~~、まい~、が~~。
覚せい剤事案(使用)の被疑者が強制採尿されるのはこういう目に遭うのか、とも。

これですべての管がはずれた。

自由になった身体で、手術後初めてベッドを離れてみた。
車いすでガラス窓に近づくと、寒空を背景にした讃岐富士がよく見えた。
瀬戸内海方面には瀬戸大橋、丸亀の競技場、丸亀城、ゴールデンタワー、南の方には善通寺さんの五重塔。

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初めてのリハビリ。
右足は思うよりも良く動く。
久々の運動にもなる。日曜日の転倒以後、木曜日まで身体をほとんど動かさなかったから。


リハビリ終えて、1階のローソンと隣接するカフエ。

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ローソンでヨーグルトを買い、カフェで持ち帰りのホット・ブレンド。

ローソンは、車いすが通る幅を確保しているし、車いすから手を伸ばして届く範囲に最上段を設定している。
病院内対応ですね。
車いすでの私の目の高さは小学生の低学年か幼稚園くらいかも。かごをくわえた犬さんまではいかないけれど、初めてのお遣いに出たような勇気と好奇のある買い物でした。

ネットでポールの新曲をダウンロード購入。Hope For The Future
相変わらず、一聴してメロディを記憶できる曲。聴くほどに味が出ましょう。私には2014年12月の記憶とともに。

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ついでにネットでCDの買い物までしてしまった。

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ベッドの上の24時間。

12月10日・水曜日。

手術翌日。
血中酸素のコードはとれたが、点滴とカテーテルはそのまま。

鎮痛剤の助けで右足の痛みを耐えながら寝て暮らす。三食昼寝付き。

朝食は、前日来の絶食明けのため、ことに美味しい。
ただ出された三食すべてを食べていたら、身体を動かさないのに体重ばかり増える危険を感じる。

夕刻、家族と一番下の子が来てくれた。
スマホで平安隆さんの沖縄音楽を聴く。とってもいい。
また一緒に沖縄に行きたいね、と末っ子と会話する。

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就寝時刻直前に点滴は抜けた。

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AコースからDコースまで。

無事手術を終えて予後のみを案じればいい状況になることができました。
ひとまず、安心。

すると、事故発生から今までを振り返り、特に老母とのジタバタ走行を思い返すと、なんでああなったんだろうな~、どうすればベストだったんだろう。

まず、Aコース。
事故発生場所ですあるスケート場からそのまま善通寺のセンターに緊急搬送してもらう。
当日の緊急手術は現実となったか?一応休日(日曜日)ではある。(主治医の井上先生は4年間無休とのことだからご出勤ではあった。しかし手術スタッフの予定は?)
せめて搬送日には入院して(あるいは手術予定で翌月曜来院して)月曜日手術。
しかし、これは今だからこそ想定できるのであり、事故当時は「神のみの選択」。
(そもそも三木町から高速経由で善通寺まで搬送に応じてもらえるか不明。)

では、Bコース。
ともかく休日ながら診てくれる、と受け入れてくれたK病院に搬送された。(ここまでは事実と同じ。)
診察の末、当直の医師の先生が、「紹介状書きます」+「整形外科であれば医師を選ぶ必要は乏しい」と教示する、そもそも教示する権限がある、のであれば、日曜のうちに、自宅に近い善通寺のセンターに自力(家族運転で、の意味)移動、もしくは、再緊急搬送。
あとの手順はAコースと同じ。
ここでは、当直の医師の先生の権限が問題。そもそも雇用主にあたる病院経営者の医師(?)の先生の方針によものなのか、どうなのか、は一般人は知るよしもなし。

Cコース。
日曜日にもかかわらず緊急搬送を受け入れてくれたK病院。その当直医の先生は、「明日・月曜日の午前に再来院して副院長に診てもらってください。」と告げた。
その言葉にかかわらず、帰り道にもしやの思いで立ち寄った善通寺のセンターで、あえて診てもらい、そのまま入院もしくは同日手術までなした。
これは、当直医の先生の指示を無視する不義理型でありますが、そうまでして自己防衛せざるを得ない背景事情のありや、なしや。
(しかし、現実には、私は、「バカ」のつくほど正直に月曜日に再来院までしてようやく紹介状をいただけた。)

Dコース。
K病院から紹介状(及び画像DVD)をいただくまでは現実と同じ。
ただ、同病院を引き揚げるときに、こうアドヴァイスされていたらどうだろう。
「これから善通寺に向かいますか?善通寺が即日手術を実施してくれる可能性がないわけではありません。手術に備えて、これから手術の可否が決まるまでの間は、食事も水分も控えることをお勧めします。食事後5時間は手術ができないからです。」と。
私と老母は「わかりました。ありがとうございます。」と述べて向かう先の判断に以後は任せることができたでしょう。すると最速、月曜日に手術実施の可能性はあった。

(以上述べた内容は決して特定の機関個人を非難する趣旨は決してありませんので。念のため。医療界の慣行が部外者にはいまひとつわからないところからくるものです。)

医療機関相互の連携体制、引き継ぎ方のマニュアルの整備、などなど門外漢ながら、よりよい方策はいくらでも創り出すことはできるのではないか、といや門外漢だからこそ、で思いついたままに、自己の経験に照らして書き散らしました。

肝心の私の治療経過としては、結果的には、ない知恵しぼって、どうにかこうにか、切り抜けることができました。

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管つき生活。

12月9日午後5時20分ころ、病室に戻りました。

身体には、点滴、カテーテル、そして血中酸素濃度検査、のそれぞれの管かコードがとりついています。
それらをまとめて上から覆うように前からかむる寝巻。

手術が無事に終了したことが家族ともども一安心。

家族が引き揚げた後。
スマホにはいったバッハ。
ゴルドベルクではなく平均律。
グールドのピアノが心に沁みました。
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チームというもの-手術室内の光景。

手術室に入ったときから気がついていたのだけれど、小さ目の音で鳴っている音楽は、あれはミスチル?

執刀医の先生を不要な緊張から解放する手だてだとすれば井上先生のお好みなのかな?わからないけど。
患者の好みで選曲させてくれれば、グールドの新しいほうのゴルドベルクとリクエストするかもしれませんが、かえってドクター・レクターを連想すると逆効果かも。

手術室内では女性看護師の方々がご挨拶がてら私の周りに群がり手術の準備にとりかかります。いでたちはブルーグリーン(色の記憶は不正確)の手術着でマスクかけてますから目しかわかりません。しかしなんだかとっても優秀そう。

さて麻酔医の先生が着手されます。
右側に横倒しになって背中を丸めたところ、腰のあたりの背骨の隙間に針を、チクリ、と刺すと何かが注入されました。
仰向けにもどりしばし待ち、麻酔医の先生が、
これ冷たいですか?
と尋ねながら右胸の上のほうから身体の下の方へ一定間隔で肌に、冷たいもの、を当ててきます。
私は、冷たいです。冷たいです。冷たいです。・・・ん?
おへそのあたりは物を押し当てる「圧」を感じますが「冷」は感じません。
その旨答えましたら、それを合図のようにチームが何か作業を開始したようでした。

右手で自分の右太腿を触りますと、毛に覆われた肉塊の存在を感じます。
さらに股間のイチモツを触りますと、触っているほうの感覚はあるのに、触られているほうはほとんど感覚がありません。

右足はすでに感覚を失っているのでしょう。しかし、自分には右足が膝を曲げて立てている感覚があるのです。もちろん客観的には右足を引き伸ばしてケガの中心である内くるぶしが上に向くようにして作業にかかるのが当然のところ、いつまでたっても膝を曲げて立てている感覚が消えません。合理的にあるはずの体性と身体の感覚とが一致しない違和感か気になり続けました。ほとんど手術の終わりまで。麻酔が効く前の最後の残像が残り続けたのでしょうか。

視覚的な比喩でいえば、自分の下半身が半透明人間になったかのような感覚。

女性看護師さんがとりかかったのはどうやらカテーテルの挿入。とおーいところの感覚でカテーテルが挿入されたのを確認している様子です。

すると執刀医の先生が、何も言わずに、右足内くるぶしに圧をかけたような感覚。これはメスを入れて切り開いたな~。
間もなく、これ確認して、などとおっしゃるのは割れた骨の一部を取り出して簡単な検査・確認をしているものなのか。

ここまできたときにはとっくに、好きにさばいてください、好きにしてください、の思い。
そして、医学は日々進歩している、苦痛を最小限にして医学的効果の得られる技法は日々進歩している、だから大丈夫、と自分に言い聞かせている自分も。

すると手術が立て込んでいるのか井上先生は他の手術にハシゴされていき、代わって副院長の藤内先生と佐々先生がいつの間にか手術台の両脇にいらして、
「これから始めますよ!」
とお声をかけてくれました。
゜え?今までの何だったの?」
と思いつつ、これからドリルの音なんかするのかなあ~、と身構えてしまいます。

ケガのない左足が、ぐいっ!と引っ張られる、遠い、感覚がして、「こっちはほとんど曲がらない」などと会話されていますから、左右の足の比較などに使われたようです。

室内は変わらずミスチルの曲が聴こえます。
そして内容まではよく聞き取れませんが、雑談と談笑。実は、スタッフが談笑しながら作業してくれるのが、手術を受ける立場には、安心させてくれるものだとわかりました。
しかも、医師とそれを補助するスタッフとのやりとりもスムースです。素晴らしくうまく機能するチームの実例を体感できました。
自分の仕事場がこんなのであればいいなあ、とも。

怖いと予想したドリルの音は、あるかないかわからないほどのくぐもった低いものでありました。

同じ体制で寝ているから腰がそろそろ痛いなあ~と思うようになったころに、
「はい!終わりました!」
と医師の先生からの終了宣言。
そして他の医師の先生が私の右足を上に引き上げて、
「いま足の状態はこうなっています!」
と示してくれましたが、すでに包帯でグルグル巻きであります。

そしてスマホに転送された画像を間近に見せていただきましたところ、私の右足には水平方向に二本のボルトが差し込まれて骨をつないでいます。
内くるぶしの割れた部分にはさらに二本のスクリューがねじ込まれて骨を固定していますから合計4本の金属の棒が体内に埋め込まれました。

無事に終わった感謝の念をどう表せばいいものか。つたない表現しかできない私は、ありがとうございました、というしかありませんでした。

さきほど搬入された逆の方向に向かいます。
讃岐富士のイラストが逆立ちしています。
左右折り戸の出入り口を二か所通ると、そこは、娑婆、に戻りました。右のほうで外で待機した家族に説明する医師の先生の声が聴こえます。
廊下を通ってエレベーターに入って家族の顔が初めて見えました。
「いま何時?」
と訊ねると、5時20分、と答えるので、
「え?3時間も経った?!」
と驚いたのは自分の感覚では1時間程度に感じたからです。
それほどまでに、実は、神経を張りつめていたのでしょう。

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