12 posts categorized "家族"

弟の帰省。

8月13日・日曜日。
弟が帰省しました。
老母も含めて私の家族ともども近所の焼肉屋さんへ。

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母のための水汲み。

11月17日・木曜日。
木曜日といえば観音寺の裁判所での業務が集中する曜日です。

数日前に実家回りの作業をしていた老母が、どうも無理でもしたのか、
背中が痛い、
歩けない、
重いものが持てない、
と言います。

実家の水(もう何年も四国内での湧き水を利用)が尽きてきたので老母からペットボトルを預かり、水汲みに来ました。
観音寺方面に仕事で出かける途中になります。

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美しい風景。
美味しい水。

ああ、ここで生まれて育って、良かった、と思えた瞬間でした。

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大歩危温泉。

12月19日・土曜日。

老母と私の末っ子と計3人で吉野川沿いの景勝地・大歩危(おおぼけ)に行ってきました。
お目当ては、温泉。そして山の水汲み。

温泉はホテルの日帰り入浴にします。
サンリバー大歩危。

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温泉の効能書き。

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屋内の大浴場にサウナ、露天風呂を備えています。
露天風呂からの風景のひとつ。

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いい気持ちになってそれから昼食。
約一か月前にも来ましたこのお店を再訪。

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祖谷そば・肉。それに鮎の塩焼き。

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窓外の風景。
対岸にはJR土讃線。アンパンマン電車が通過しました。

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さきほど入浴したホテルがすぐそこに見えます。

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水汲みも無事終えて帰宅。
いま流行りの荏胡麻商品を土産にしました。

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山の水汲み。

一週間経ちましたが。

11月15日・日曜日。
祖谷へ行きました。
老母とともに。
温泉にはつからず、水を汲んできました。

子供たちには、これまでさまざまなブームがありましたが、ここのところ山の水のブームでありまして、汲んできた水をグビグビ飲んでいます。
そこで今回はポリタンクを計4個分。

汲み終えての戻り道。
お昼はもちろん祖谷そば。
国道32号線沿いのお店。

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看板にのけぞりました。
「祖谷そば」と「讃岐うどん」が並んでいます。
遠来の観光客には一か所で済む、あるいは四国の麺を選べる、ということなのでしょうか?
地元民の私にはうけました。「視と聴の合体」のような。(一般の方にはわからないかもしれませんが。)

風情の作り方が、観光地的に、うまい。

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そばも鮎も、うまい。

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食後の風景。
土讃線の列車が通過。
観光客の中には、撮り鉄さんらしき人たちも。

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車中では、母親が、私の小学生のころ、父がよく車で高知まで旅行に連れて行ってくれたときのことを語ってくれました。高速道路などないころ、国道32号線を走ったこと。その国道も今でこそ真っすぐになっているものの、昔は山沿いをだらだらと曲がってして国鉄の線路と右になったり左になったりしていたような記憶が残っています。当時の移動時間は高知までで約3時間だったとか。子供のころ、しかも乗っているだけですから、その時間の長かったこと。
そんなことを思いだしたら、昔の道を通る、と言う「寄り道」をしました。

阿波川口駅前。

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旧の国道からそれましたが、
三縄駅。無人駅でした。

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お土産はこれら。

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また、老母と祖谷。

11月になりました。
最初の日の1日は日曜日。
老母と私とどちらが言い出したものなのか、祖谷渓あたりの山の水を汲みに出かけることになりました。
20リットルのポリタンク2つを用意してくれて、うち1つは私の世帯で使え、ということです。
走りだしたところ老母は、
タオルを持ってきた。
と言いますから温泉に行かざるを得なくなりました。
どこに行こうか、松尾川温泉もあるし、と話題にしても、結局、祖谷温泉に決まり。
細道を走行すると妙に対向車が多いのです。
ホテルをチェックアウトした人たちかなあ?ナンバーは県外・四国外がほとんどです。
こちらが自宅を発った時間が遅めであったからと思いました。
けど、どうもそれだけではなさそう。
山が色づき始めています。紅葉の季節、秋の観光シーズンなんですね。
下界から早く秋冬が到来する山はカラフルになってきていました。

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お風呂上り、南下して、ひの字渓谷も、色づき始めています。
紅葉シーズンの入口というところでしょうか。

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さらに南下。
老母を祖谷美人で昼食。

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今日は、ししそば、そして、鮎。

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鮎は尾まで完食。跡形なし。

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祖谷美人はこんな風に渓谷に突き出し。

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あとは水汲み。

三好市内で寄り道。

そして観音寺市内へ。
観音寺オフィスを案内しましたら寺瀬弁護士がお仕事中でした。

一山超えたら別世界。阿波の国は有難し。

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老母と日帰りの祖谷。

あっという間に週末が来ました。

10月16日・金曜日は、三豊でのお仕事からのあがりは午後9時ころ。
少々疲れました。体育の日の連休が明けてから平日4日間は隙間のないようなスケジュールでしたから。

祖谷でも行こうか。
10月17日・土曜日。
先週に続き再び老母を誘い日帰り温泉に向かいました。

小便小僧。

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ホテル祖谷温泉のケーブル駅からの眺めは、空が抜けるような青空でそれでも陽がまだ高くないのでくっきりとした影を渓谷に投げています。

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露天風呂はほとんど無人。
シルバーウィークに体育の日の連休と秋の観光のピークの直後のタイミングですから好天の週末なのに人が少ないのでしょうね。

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風呂から上がり、ケーブルも上がると、渓谷の谷底まで陽が届くまで上っていました。

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ひの字渓谷。
遠くの山の頂上に近いところは木々が赤く色づいてきたようです。

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帰り道に昼食をとりました。
あめご亭。
席からの吉野川の眺めはとても良いです。

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天ぷら祖谷そばとあゆの塩焼き。

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つなぎが少なくそば粉の率が高いので、麺がプチプチ切れます。
お店はあめご亭ですが、あゆの塩焼き。
頭の先からしっぽの元まで完食。

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帰宅したら午後1時すぎ。
半日の温泉・食べ物のおでかけでした。

このまま昼寝できたらいいのですが、夕刻から高松でお仕事。

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老母と祖谷・高知。

話は前後しますが、
体育の日の三連休のこと。

また連休か。

思い立ち、連休中日の10月11日・日曜日に、老母を誘い祖谷温泉に向かいました。
年寄りの朝は早い。私も早い。出発は午前6時25分。すでに地域は明るくなっています。

走ること1時間20分。ノンストップで到着したら午前7時45分。所要時間は1時間20分でした。

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ケーブルカーの乗客となり河原に降りました。
私は、1時間ほどのかけ流し温泉の浴びる客となり。

は~。よかった~。

思いついて、老母に、

高知に泊まりに行かん?

と尋ねたら、

そうするか。

というので、宿と夕食を予約したら、
取れました。どちらも。

温泉のあと、祖谷渓谷を抜けて、

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国道32号線まで出て、
行先は
南下。
そして大豊ICから高速で約14分で高知IC。

目指す宿は、
三翠園。
これまた温泉です。山内家ゆかりの地に天皇、将軍も関わる地の湯殿のある宿です。

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投宿後、行先は、

ひろめ市場。
昼食です。
宿からタクシーでいつもとは逆の入り口に乗り付けました。
そうかこの日は日曜日。日曜市がまだ開いていました。

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市場の中は、
激・混み、でした。
それでもスムースに座席は確保できまして、トロ寿司。土佐和牛寿司。カツオの塩タタキ。と一応の高知定番は老婆とともに堪能。明らかな食べ過ぎ。

ちょうど正午を迎えて、自席周辺は、人待ち顔で立ち尽くす、人・人・人・・・。いったいこれどうなっているの?の混み様。こんなに人が来たら入場制限されますよ。
片づけて席を立とうとしましたら、すかさず、
ここ空きますか?
の問いに、
はい。
と答えたら、ササッ、と次のお客さんが席を確保。
なんという勢い。

ひろめ市場を出た私たちはまだ開いている日曜市をブラブラ。
母親は生の落花生がお目当てでした。無事GET。

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朝ほどではないと聞きますがそれでもまだまだ人出は十分ありました。

宿に戻り、庭をブラブラ。
むか~し、両親も伴い家族(全員)旅行の際、同じ宿に泊まって子供たちとこの庭を散策したのを思い出しました。池の鯉は代が変わったかな~?

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(帰宅後、調べたら前回は2003年(平成15年)9月20日から21日にかけて滞在していました。)

チェックインに少々早いのでロビーで休憩していましたら日本庭園では結婚式・披露宴。新郎新婦が餅をついていました。おめでたいですね。

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それを眺める宿泊客の方々。

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宿の売店をウロウロしますと、なんと懐かしい家庭製品の陳列コーナー発見。
むかしむかしの(ポータブル)レコード・プレーヤーに、ソノシート。またシングル盤も。うちにもあったよね、ソノシートも。どこいったんだろう?

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チェックインしたら、しばし、昼寝。

起き上がり、夕食を求めて、鏡川沿いを散策しながら予約のお店に向かいました。

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夕食の席は、
酔鯨亭。

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カツオの塩たたき、うまし!ただかつおの特に刺身は季節的にくたびれているようです。
帰途は商店街を抜けました。
昼食をとったひろめ市場に再訪。夜も相変わらずの激・混み。空席皆無。ながめるだけで出ました。

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宿の近くでライトアップされた高知城。

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宿に戻って母親と語らう機会を得て意識を失いました。

夜が明けて宿の露天風呂。

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浴場に入りますと温泉特有の匂いがします。湯を手に取りますとヌルヌルしています。天然の温泉のもよう。

浴場から客室に戻る途中の廊下に山内一豊とその妻の生涯を解決したコーナーがありまして、読みふけってしまいました。一国一城の主とは経営者でもあるのですね。物語に涙ぐんでしまいました。

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宿の朝食はバイキング。以前泊まった際の朝食会場とは異っています。
食後は日本庭園をながめながらしばし雑談。

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母親とともに、朝のひろめ市場で買い物をして帰りを待つ(?)家族の食事の足し、それはトロの寿司、土佐和牛の寿司、カツオのたたき、などなど。さすがに朝の同市場はまだ人もまばら。けどお客さんはすでに飲んでいる人も?

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高知を後にして帰宅したらまだ正午前。お土産は昼食になりました。

日曜日の朝は自治会の資源回収でしたが、これは家人と子供たちに任せて出てきました。
月曜日の自治会の運動会には出場を言われていたのに、他の家族に「あとは頼む!」と伝えてお任せ。私の代わりに次女が出場してくれました。
うちは人間が多いですから助かりました。

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お花見@桃陵公園。

4月8日、日曜日。花祭り。
両親を伴い子供たちと家族総出でお花見に行きました。多度津町の桃陵(とうりょう)公園です。
桜は満開、天気は上々。春本番の気持ちのよい日でした。
お花見客で賑わい、とてもいいお花見ができました。

私はカメラを3台運んで、下手の横好きで撮影。
古参兵のSONY DCS-F828。
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動画も撮れるミラーレス一眼のSONY NEX-C3。
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この上級の「7」発売を昨秋楽しみにしていましたらタイ大洪水のため発売が延期されました。延期後の発売は実現しましたが、次にどうせ「9」を出すでしょうから待ちのスタンスです。

只今の真打・愛機はSONY α900。
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素人画像で大変失礼しました。

本日(11日)の雨で讃岐平野部の桜は、今年は去りそうです。

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敬老の日。

敬老の日であった9月15日に、親にデジカメをプレゼントしました。
1年に1度開いていた同窓会に出席するが、高齢のため、今年で最後の集まりになると言います。
私が沖縄旅行の備えて入手したカメラの出来が気に入っていたので、9月9日に発売されたばかりのソニーのDSC-TX55をプレゼントしました。マイクロSDHCカードは32GBの容量で、デジタル家電の日進月歩は目を見張ります。
カメラのボディはゴールドで、おめでたくしました。20110915

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父帰る。

20090927a小学校の運動会を終えて、夕方、父親が帰ってきました。
同窓会に出かけていたのでした。
25日・金曜日に出発して同日神戸で同窓会。一泊して解散後、次は奈良のきょうだいのお家に行き泊まってきました。それで帰宅は27日。私がJR多度津駅まで迎えに行きました。
父親は80に手が届こうというのに、元気です。同窓会には毎年いそいそと出かけていきます。今年の参加者は7人だとか。

思えば父親のような昭和ヒトケタは、幼少期には日本が戦時体制にあり、中学ころの少年期に敗戦を迎えました。日本のどん底を見たわけです。
就職する時期からは日本も復興に向かい、働き盛りのころには日本も勃興して経済的に隆盛を迎えていました。現代日本の一番いい時代に仕事していたわけです。
そして引退してからは年金もしっかりもらえています。年金記録の紛失・行方不明や改ざんなどとは無縁です。
ということは、幼少期は戦争で厳しい目に遭いましたが成人してから後はほぼ安泰です。

じゃあ、その「子」である私はどうかというと、幼少期には高度経済成長の空気を吸ってきました。大阪万博は小学4年。
20代にバブルでしたが、30代はバブル崩壊後の失われた時代。
いま働き盛りの時期になって、日本がさらにあやしくなってきてしまいました。
生まれてから良い目にあっているから、これから苦労するということでしょうか?
「モラトリアム」なんて言葉が飛び出して、まるで昭和恐慌の時代ではないですか。まさに昭和ヒトケタ。

では、さらに「孫」は?と考えますとこれが不透明感が増しますが、親子孫の3世代を経て、一巡りしたように感じます。
もう何もかも大変そうです。これからは。

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