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レコードは冥土につながる?

亡くなった父のレコードを探していました。
カーペンターズとスリー・ディグリーズ。
カーペンターズは邦題「緑の地平線」原題Horizon。
実家に立ち寄る機会に、それらしい場所を探したのですが、いつも見つかりませんでした。
お母さん、お父さんのカーペンターズのレコード、どこ行ったかなぁ。
と尋ねても、知らん、と言います。

アルバム「緑の地平線」Horizonは、すでに解散したビートルズを凌ぐ勢いで1970年代初頭の全世界に衝撃を与えていたカーペンターズがちょっと一息ついたような1975年の作品です。テレビやラジオで勝手に流れていた二人のレコードを我が家で初めて購入したのがそれでした。父親が、自分のために買い、自分で聴いていたアルバムでした。
当時の私は洋楽万歳、ビートルズは神様、イギリス最高、の状態でしたから、カーペンターズはちょっと歌謡曲レベルではないか、アメリカだし~、と思い込んでいたカーペンターズのアルバムには触手も伸びませんでした。それでも父親が当時のパイオニアの家具調ステレオセットで再生していたのをそばで聴いたら冒頭のピアノがフェードインするところなど、綺麗な音だなー、と素直に感動していました。
父親の友人が訪ねてきたときに、そのアルバムを再生しようとしたところ、その前に私か弟がテープデッキから入力していたのかもしれないですが、レコード再生時とはつまみの位置が変わっていたのでしょう、父親が、音が出ないのにあわてて、あれ?とパネルのつまみを操作しようとしていたのです。たまたま近くにいた私が触って音が出るようにしたのを、昨日の出来事のように覚えています。当時は、満で言えば、父親は44~5、私は14~5の歳です。
その思い出のレコードが、見当たらない。どこ行ったんだろう?

昨日のことです。1979年のレコードを思い出して棚で探し出したところ、なんとその隣に亡き父のレコードが、ひょこっ、と現れました。
発見!
なんだ、自分の家に取り込んでいた~んだ。
よかった。
早速、再生しました。
今の自分の耳には、やはり、日本盤の音だね~、というのが先に立ちました。それでも思い出に満ちた盤です。

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両面再生終了。気が付いたら目に涙が出ていました。

さて、それでは、と次のネタがあるのも今の自分です。
US盤を取り出しました。

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日本盤に続けて再生。
結果、原地盤はいいわあぁ~、が正直な感想でした。
音が、ヴォーカルもバックの楽器群も、生々しさと自然さを増しています。
マトは、A3,B2

満足して一夜明けて、日課になっているような挨拶の電話を母親にかけて早速報告しました。
お父さんのレコード、うちの棚にあったよ~。
と言いますと、母親は、まず、呵々大笑。続いて、

ゆうべ、お父さんが夢に出てきた。
お父さんが「レコード整理せないかん。」と言っていた。

と言います。
そうなんだ。
と自然に受け入れることができました。

そういえばあと数日で父親の誕生日。
お祭り好きだった父。地元の秋祭りも近い。

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1979-18歳のころ聴いた音楽。

仕事を終えて帰宅するとき、なぜか頭に、
1979
の数字が思い浮かびました。
1979年
昭和でいえば54年。私が大学入学前に郷里香川で過ごした年です。

レコードの棚から探し出してきました。
永遠の新品レコード・シリーズ。

まずは、スペシャルズ。

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購入したあと、2回か3回か、聴いたのか、の盤です。もちろん盤面はミント。
1979年11月のライブを収録した45回転盤です。
40年近くの時を超えて、当時の若者の熱狂と演奏の熱を十分、今に伝える盤です。
ジャケットに写る当時の若者、私より少々上でしょうから、いまはもう還暦かそれともそれより上。

こういう盤を聴いて、まだ武蔵野の香り残る荻窪のアパートに1980年入居した私にとりまして、当時の脳内で鳴っていた音楽であります。

もう一枚は、ディーヴォ。
メジャーになる前のレア音源であると理解しているのですけど、今、再生すると二十歳(はたち)間近い私の聴いていたはずの音楽です。記憶の底にあるものを呼び起こしてくれました。

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いまでも、
ミュージックセンター オオサカヤ
のビニール袋に納まっています。
透過盤。

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21世紀も10年代となった今の、デジタル音、と想像するなかれ。再生したら、当時最先端であった電子音は、バッリバリの、アナログ音であります。是非、21世紀まで生き延びて、今、の音にさらされて鳴らされた耳で、この音をお試しあれ。
うちの子どもたちにこの音楽を聴かせたいと思う私は、変な親、でしょうか?

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束の間のレク。

日曜日の業務を終えて、明日は月曜か、と思っていたら近くにお住まいのアナ友さんが来ました。
これ初期盤かな~といいながらクレンペラーのブラームス3番のシルバー・ゴールドのステレオ盤をご持参です。
バリバリの初期盤じゃないですか~、マトはずいぶん進んでますね~けっこう売れたんですね~
などと褒めているのか、けなしているのか、わからないコメントが口をついて出ました。
拙宅オーディオで早速再生してみました。立派で鮮度の高い音です。
あとは、アナ友のお好みの、管弦楽団の入った元気な音楽、ということで交響曲、ピアノ協奏曲と日曜夜にドンチャン騒ぎでありました。

私はつい先日購入した後未だ再生していないこちらを第1楽章だけかけてみました。
フルトヴェングラーの運命、EMIのスタジオ録音盤で疑似ステレオのドイツ盤です。疑似ステレオでの最初期ではないようですけど、ふくよかで広がりがあり、個々の音も克明に聴こえまして、たとえば弦楽器の粒立ちも良く入魂具合すらわかるような、いいサウンドです。ドイツのエレクトローラ社の技術陣の成果です。

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けど、この盤、このジャケット、すでに自宅内にもう一枚存在する気がします。

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深夜の浄夜-ブーレーズがシェーンベルクを指揮するとき。

深夜、周囲がしんと静かになると、シェーンベルク(1874-1951)の浄夜を取り出しました。
遺品をもらい受けたうちの1枚です。

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十二音技法でなく後期ロマン派に分類される作品です。
これには改めて書く必要もないほど有名な物語が付せられています。書いてしまいますと、ある夫婦が浄らかな夜に散策していると妻は妊娠したことを夫に告げ、その子供は夫の子ではない、と告白する、最後は夫は許して自分の子として育てることを決意する、というのです。
仕事がら、損害賠償だな~、離婚はどうするのか、などと条件反射的に考えてしまう事態です。
しかし、人間が直面した問題を解決するのは法律ばかりではなし。そんなもの人間の営みのごく一部にしか過ぎない、ということです。

シェーンベルクの音楽はそれ自体が人間の感情に訴えるような怪作ではあるので、当の物語を付して具象の色付けをしなくとも、音楽それ自体の抽象的な響きで勝負できたのではないか、と思えるのです。物語は作曲家自身が付けたのか?それとも周囲の誰かが話題作りか、さらには、売らんかな、の魂胆でこじつけたのか。聴くたびにあんな物語を連想させられるのは、違和感を抱いてしまいますが、それは私の心が狭いからでしょうか?

ピエール・ブーレーズ(1925-2016)は現代の作曲家としても活躍した人でしたが、指揮活動も精力的でした。
この演奏を聴きますと、作曲もする指揮者が、芸術的才能がより豊かで創造的な成果を残すのではないか、と信じさせるほどです。個人的にはフルトヴェングラー(1886-1954)にも思い至りますけど。

掛け帯の宣伝文句も絶賛していますし確かにいい演奏と思います。
裏面のアルバン・ベルク(1885-1935)も。

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異様に爽やかな土曜日。

10月13日・土曜日。
半ドン業務の日です。
浜街道を通って高松に出勤。
ゆっくり出発して、ピーター・バラカンさんの番組を聴きながら。好みの曲、ジエファーソン・エアプレン、ウィングス、・・え~ジェフ・エメリックさん(1946-2018)、亡くなったんだ、と知りました。マーティ・バリン(1942-2018)も。

気温も湿度もちょうどいい感じの爽やかな一日でした。

引き揚げたのは日没後。

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レコード闇鍋-フランスのお味はいかが。

油断するとすぐ増えるのが、レコード。
気が付いたら足元に増殖しています。
なぜ?

原因不明でも聴いていかなければタンス・レコードの山になります。
ひとかたまり、えいっ、と機械的にターンテーブルに乗せてみました。
(あくまで一枚一枚続けて再生の意味。決して4~5枚を重ねて再生したのではない。)

有名曲のこれ。ビゼー(1838-1875)です。
フィルハーモニア管がふくよかないい音を奏でています。ワルベルク(1923-2004)指揮。デジタル録音をアナログ盤に収めた盤ではこんな味は出ないだろうな、と思うような。

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エドガー・アラン・ポー(1809-1849)がらみの曲でフランスの作曲家ばかりを集めた盤です。
これは、いい!こういう聞きなれない音楽が出てきますとNHK-FMでクラシック番組を聴いているようです。
ドビュッシー(1862-1918)のアッシャー家・・・は、クラシックでお決まりのような強奏の部分を作らず、物語は淡々と進行する、とでも言うような、そしてそれが心地よい。音も美しい。
裏返してキャプレ(カプレ1878-1925)の「赤死病の仮面」は小説の筋を追いながら聴くと、文学と音楽の融合と相乗、を感じます。
ただシュミット(1870-1958)の「幽霊宮」はいただけない。まるでソープオペラの茶番。ポーの精神崩壊をしたためた詩に、これは、ない。フランスの作曲家でだれか十二音技法に熟達した人はいませんか、そんな人に作曲してほしかった。ただこの曲が収録されているのがエスプリかもしれません。
ジャケットにピアズリー(1872-1898)の画でも使用できなかったのか?

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アナログ・ステレオ時代のチェリストを代表する一人であることは間違いないトルトゥリエ(1914-1990)によるサンサーンス(1835-1921)とラロ(1823-1892)のチェロ協奏曲、という定番的組み合わせ。
良くないはずが、ない。

FrencheFrenchf

UKから届いたばかりのレコード。
アルベール・ルーセル(1869-1937)の交響曲が2曲。
・・・
退屈。
これ、言っては、いけなかった?
アンセルメさん(1883-1969)が一生懸命やってますが。
サイド1で撃沈。

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これも再生しました。フォーレ(1845-1924)の室内楽。
二枚組のうち最初の一枚。さすがフォーレ、文句なし、です。

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金曜夜のことでした。

闇鍋、、、次はイギリスでやってみますか!

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レコードの夢はかなったのか、忘却していた記憶から-ペンタングル。

アメリカから届きました。
ペンタングルのファースト。イギリスのフォーク・グループであることは以前の記事に書きました。
オリジナルのUKを買わないのか?買いません。
高いから。
それでUSから仕入れました。
マトリックスは両面に-1Cとあります。

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届いた初日に再生しました。
もう、これでいい!
と言えるほどの生楽器と声の生々しさ。眼前にグループが存在するような。ベースラインのアタックがビシビシきます。ギターの鈴の音のような増幅音も胴鳴りも。

「ペンタングル」というグループ名も、中心メンバーの「バート・ヤンシュとジョン・レンボーン」の名前も、最初はラジオから教わりました。中高生の時期(1970年代半ばから末まで)のラジオは、洋楽、ポップ、ロックと言えば現在進行形の70年代ミュージックはもちろんのこと、60年代音楽も懐メロのように盛んにかけていました。
どの曲を聴いて上のワードを覚えていたのかしら。
今のようにすぐパソコンかネットで検索してレコードジャケットのデザインを確認できる時代ではありませんでした。雑誌かムックの紙媒体でペンタングルのファーストのジャケットを見たときには、
かっこいい~
と感じました。
大学生となって東京で過ごしていたらCDが出て、レコード・ジャケットのミニチュアサイズが再現されていたのを早速買いました。

Pentangle1stg

アパートのプレーヤーで再生したら、ヘッドフォンから聴こえる硬質な再生音にこんなもんだったかなぁ~、とずいぶん長くお蔵入りとなりました。
それでもやはりラジオで聴いたあの感触は忘れられず、グループがらみのCDが出れば、つい手を出してしまいます。これも初期経験のなせる仕業でしょう。

Pentangle1sth

目の前のUS盤が届いた翌日の宵のつれづれに二度目の再生。
あれ?なんか迫力足りん。と片面再生のみで終了。真空管の温まり具合が足りないか、室内の温度湿度の関係か。

さらに次の日、三度目の再生。帰宅後に電源投入して放置することしばし。
着替えたり、お茶いれたり、さらにUKから届いた新たな荷物を解体して中身を確認したり。
ターンテーブル上のUS盤に、やおら針を乗せて再生しまして、日没からさほどの時間でもないため、音を少々上げ気味にしてみましたら、迫真のグループの姿が現れました。

Pentangle1sti

ふと、ラジオの時代に自分がペンタングルと出会ったのは、このファーストアルバムを通しで再生した番組ではなかったか、少なくともファーストの収録曲をかけた番組であったはず、と思い出したのです。それは忘却していた記憶が突然蘇ったように。
中高生のころ、自宅に少しずつ集積しつつあったレコード。そのレコードをいつかは本格オーディオを自宅に組み立てて思い切りいい音で再生したい!レコードは、日本盤、アメリカ盤、イギリス盤を集めるんだ!オーディオ・ルームには壁に造り付けの天井から床までのレコード棚をしつらえてコレクションを一望するんだ!と夢を描いていた。

その夢はかなったかな?

自宅の外は肌寒い秋の夜の帳(とばり)が降りています。

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夜の現代音楽-シェーンベルク。

この間のレコード店巡りであるお店にシェーンベルクがいやに多く出ていた。好きな人が手放したんだな。いや、好きな人は手放さない、亡くなったんだ。いや、それはいいんだけど。
めくってもめくってもシェーンベルクばかり出てくるところで、ふと、グールド、の名前が見えた。それで、今度はグールドを主体にしたら、オムニバスに収録されたグールド、ということになって買いたくなった。買ってみた。
聴いてみた。

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昔、NHK-FMで、記憶違いでなければ、「現代音楽の時間」という番組がありました。全編、現代音楽、の時間。当時のことですから、20世紀音楽、ばかり。
番組を待ち構えて聴くほどではありませんでしたが、たまたま出くわしたときには、そのまま聴き入っていました。なにか特別な空間がそこにできたようで。

秋の夜長にシェーンベルクを聴きますと、ラジオで流れていた音楽はまさにシェーンベルクであったのかと思うほどに、ラジオから醸し出されていた空間が再現されています。

シェーンベルク(1874-1951)は12音技法を創始した作曲家、と言えば足りるようで、では12音技法とは、という知識はネット検索に任せます。
けど12音技法による音楽、これは何と言おう。
私なりに考えてみた結論は、

歌にならない歌
声にならない声

ではないか、と。
さらに言いますとそれは、脳内に浮かぶ
感情
感慨
感興
を音にすればこうなる、というもの。

こんな順番に考えました。
そもそも音楽は人間の歌が始まりだった。人間の脳に生じた感情・感慨・感興を表出したい衝動、それは他の人間に伝えて共有したい衝動により、声を用いて歌・歌謡になった。
そして人間の声を増幅する道具として楽器が生まれた。
なので人間の声とそれを増幅する楽器はそもそも人間の歌・歌謡を再現するものと位置づけることができた。
それをシェーンベルクは脳に生じた感情感慨感興をダイレクトに音楽にしようとした、と言えないか?
人が夕日を見て美しいと感じたとき、人が学問で物事を理解したとき、人が目標を達成したとき、人が感謝するとき、そんな正の脳波が出るときも、反対に負の脳波が出るときも、人の声・歌・歌謡という一種の制約から解放されて、脳波をダイレクトに音楽として表現することを試みたとも。

そう言いたくなるように不思議な感覚にとらわれます。
シェーンベルクの音楽に自分の脳波が共鳴すると、脳と音楽は同じステップを踏み、踊り出す。

あっという間に二枚、四面聴き通してしまいました。
おもしろいなあ~。
歌・旋律としてはほとんど記憶に残らないけれど。

私って、やっぱり、変、ですか?

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朝のバロック、夜のバロック-ホグウッド/ヴィヴァルディ。

シルバーは朝早くから目が覚めてしまいます。
目覚めてまだ時間がある。しかも子どものうち何人かはすでに目覚めて身繕いをしているようです。これなら音を出してもいいようだ。では、朝の景気づけに。
と、先日買ったばかりのヴィヴァルディをかけました。

ヴィヴァルディ(1678-1741)作曲による「調和の霊感」作品3。

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ジャケットにはエンシェント(ミュージック)室内管弦楽団しか書かれていませんけど、指揮は(もちろん)クリストファー・ホグウッド(1941-2014)。
個人的には中高生のころにバロックといえば、まず、イ・ムジチ、だった時代。しかも結婚のお祝いのレコードの定番はヴィヴァルディの四季だったような時代です。イ・ムジチのアンサンブルももちろん素晴らしいのですけど楽員の使用する楽器は現代楽器でしたし、それが何の疑念も起こさないほどの主流でした。

そこへ、1980年代になるかならないか、のころに古楽器をひっさげたエンシェントとホグウッドが分かちがたいセットで突如バロック楽壇の中心に躍り出たような秋(とき)がありました。現代楽器からは得られない典雅な響きの魅力に、これがバロック時代の作曲家が思い描いたオリジナルの音だと思わせる権威をまとっていたようで、一気にバロック演奏の主流となった感がありました。

そのような「ブーム」は実は、1970年代かそれよりも前に、レオンハルト(1928-2012)、ブリュッヘン(1934-2014)、ビルスマ(1934-)そしてクイケン兄弟、おっとアーノンクール(1929-2016)などが地道に研究と演奏そしてレコード録音を重ねてきた先人の労苦の末に世間に一気に広まって花開いた姿でありました。そんな先人の切り拓いた道の最後に、ホグウッドがまるで果実を独り占めにしそうな勢いであった、というのは言い過ぎでしょうか。

そんなブリュッヘンと対峙するような位置にあったのはトレヴァー・ピノック(1946-)でした。
ホグウッドはレコード・レーベルのオワゾリールを代表する演奏家となって、これに対してピノックはアルヒーフ・レーベルの看板バロック演奏家でした。ここらへんはメーカーの戦略の匂いを感じるところです。

ホグウッドの演奏に最初に接したのはモーツァルトが早いか、パッヘルベルが早いか。
1970年代末か、それとも1980年代初めか、実家のテレビ(1980年代に入り大学生活になってもアパートにはテレビがなかったため実家に間違いなし。)で見たNHK収録の来日公演。モーツァルトの交響曲で後期六大交響曲のうちの30番台のどれか、としか覚えていないものの、最終楽章でのティンパニの皮が見えるような張りのある、ビートの効いた音と、その刻むリズムのうえで弦楽器群が古楽器特有のしゃくり上げるような典雅な響きを展開していました。まるでロックに通じるような推進力と浮遊感に、一気に古楽器派に陥落したのでありました。
もうひとつ衝撃的だったのはパッヘルベルのカノンとジーグ。あのオルガンで始まる演奏です。確かラジオのクラシック番組で紹介されて初めて聴いたときには、このCDがどうしても欲しい、と思いましたから。やはり1982年以降なのでしょうね、きっと。

そしてまた秋(とき)は、日本国内がまさにバブル景気の前夜から絶頂にいたる時代。
大企業は企業メセナとかで、冠(かんむり)コンサートが流行っていまして、何かと華やかな時代でした。
古楽器演奏がすっかり定着し、バブルは弾けたころ、1990年代でしょうか、フラウト・トラヴェルソ演奏から指揮活動へと軸足を移したフランス・ブリュッヘンと18世紀オーケストラもとても素晴らしい音を奏でていました。東京と藤沢の会場で立て続けにベートーヴェンの運命と田園の演奏を生で聴くことができたのは得難い美しい思い出です。

そんな古楽器演奏の転変を同時進行で、しかも東京・鎌倉の関東生活で体験できたのは幸運と思います。
その後に続く古楽器奏者は、私にはテンポが速すぎる違和感をもってしまい、デジタル媒体で聴くときの五月蝿さのために敬遠していまして、やはり私にはホグウッドの時代が最もしっくりくるのです。

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聴き通したこの調和の霊感は美しい協奏曲12曲からなる曲集。
どの面、どの場所から再生したしても、美しい音と響きに満たされた世界にたちまち入ってしまいます。
この旋律は聴いたことある、よく知ってる、というお馴染みの曲が大半ですし、ひとつひとつの音がまさにこの場所に、このテンポで、この響きで、あたかもすでに調和が予定されていたかのような座りの良さがあり、どこまでいっても安心・平和・満足を与えてくれます。

けどそんなホグウッドもいつの間にかどこかに行ったのか。
オワゾリール・レーベルもいつの間にかどこへやら。国内盤であれば、デツカ系の廉価盤CDのシリーズの中にちょっとだけこのレーベルが刺しているのを見つけてうれしくなります。が、買いません。最近のCDは作りも資料もそして本体も妙に軽いのです。1980年代から90年代のころのCDが聴ける限り聴いていたいです。

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再生したレコードは、外箱も内側も新品に近く、盤も美麗でノー・プロブレム。こんな二枚組LPが一枚あたり単価がミケタ価格で売られているなんて、(長引くデフレ不況を嘆くよりも、)これだからリアル店舗はやめられない。

朝はサイド1のみ再生。帰宅後、秋の夜長にサイド2から4まで再生。
住み慣れた街の空気に包まれたような安心感。

けど・・・私の好きな古楽器演奏の権威は、みな2010年代にこの世を去っているのですね。

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USからのポストカード-メリー・ホプキン。

レコード店巡りの最後のお店では、買うものないなぁ、坊主でお店を出るか、と思い、ふと見ると、女性ヴォーカルの箱がありました。
なんとなく見ていきますとオールジャンルです。特にジャズで、とか、ポップスで、と分類されていないようです。
そんな箱に、これが。

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メリー・ホプキン(1950-)のファースト「ポストカード」のUS盤。
このアルバムはとうの昔に関心からはずれて、同じタイトルではUK盤に気持ちは行ってしまっていました。
自分の出会いはたしか高田馬場のタイムで買ったUS盤。と思い出したら、改めて買いたくなりました。
ただ、表示札に、B6に傷あり、とありますので自分では珍しく盤面の目視チェックをしてみましたらそれらしきものがあります。お店の人にレコードプレーヤーでの再生をお願いしましたら、快く応じてくれました。こういうところが中古盤屋さんのいいところです。
傷に見えたのは再生にまったく影響ないことがわかり購入しました。価格設定は、US盤とはいえこれでいいの?の良心価格でして、それをさらにいっぱいになっていたポイントカードを利用して買うという破格値。ターンテーブル再生までしてくれた店員さんに申し訳ない。

帰宅して自宅の機材で再生しましたら、柔らかく美しい世界が再現されます。生ギターと透き通るようなヴォーカルだけの清楚な曲もあれば、スタンダード風から、エレキバンドをバックにビートポップな曲まで、飽きさせない構成です。そして全体が、彼女の出身地ウェールズの、英国の緑多い自然地帯と古い町並みのような、静謐・素朴・伝統、との印象のトーンでまとめられています。穏やかで平和な空気に満ちています。これを秋の夜長に聴きでもしたら悲しくてたまらなくなりそうです。
ポール・マッカートニーのプロデューサーとしての能力が活かされた名盤です。

今回購入した盤のマトリックスは、
-B2 #2
-A1 #2

弊ブログでも大昔に取り上げたと記憶しています元からうちにありましたUS盤を久しぶりに取り出してみましたら、そのマトリックスは、
-B2
-A1

ちがうね~並べてみましたらジャケットは寸分違わないよう。

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Maryhopkinusg

左が今回購入の#2盤。右が在来盤。


ちなみに、アメリカではイギリスオリジナルからB4を入れ替えて、当時の大ヒットシングル「悲しき天使」Those Were the Daysを挿入しています。

こちらはオリジナルのUKの裏ジャケットのポストカード。

Maryhopkinusi

次いで、こちらがUS盤の裏ジャケットの曲紹介ポストカード。B4がThose Were the Daysに変更されています。左上のイラストも変更されていました。

Maryhopkinush

けどUSからのポストカードにもGB(グレートブリテン)の切手が貼ってあるのですね。
あれ?!しかも、エリザベス女王の切手の上に、日付の消印が、ドーン、と。1月20日に読めます。この日付に何か意味があるのか?誰が何の目的でここまで違えたのか?
ぐるぐる考えていたら眠れなくなります。私の睨むところ、これはポールの仕業です。

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